主張、攻撃、先手、勝負、負けない…みたいなワードがどんどん出てくる年上の人。元気だなと思うし、そういうマインドで生き残ってきたんだねと思う。
さて、自分はと振り返ってみると、そのように能動的に動いてきた経験はほぼなくて、本当に生存って怠いなと思う。現代社会では、そのような人でも(あくまで過去との比較上)ある程度は生存できるような世の中ではあるのだと思う。ただ、世間的にはそういった人に向けられる目は、あまり良いものでは無いと思う。例えばそういった人達の中でも、開き直れる強さを持った人と、持たない人の間に溝はあるだろう。また勿論、生まれた国や病気やその他諸々により生存が脅かされる事もあるだろう。人は言語を獲得し思考する事で、より能動的な人を獲得し、怠惰な人を滅していくように進化してきたのかもしれない。
妻が「子の自己肯定感を上げねば」と俺に言ってきた。自己肯定感の低い俺がそんな事出来ると思うか?と問うと「自分がして欲しかった事をしてやれば良いのでは?」等と言う。俺がして欲しかった事はなんだろう。子が何かする前に、こちらに都合が良いように誘導、修正、否定しないようしないよう思ってはいるのだが、一切しないようにはできていない。俺は人として生存するべきではなかった。
遺書を書くならこんな風な、なんの実りも相続もない文章になるだろう。読んだ親族はどう思うのか想像もつかない。よく分からなくて、何とも思わないかもしれない。なんならこの日記でも良い。ただ、死に対して能動的に動く気もないので、差し迫った死の予定はない。しかし、生存するなら快活にいきたいものだ。