いや、言われたら(命じられたら)それは嫌だなと思うのだろう。
自分で、何処か知らない土地に行きたいなと思って、それを行動に移せるだろうか。
一番気になるのは働き口だ。
それさえクリアできたら行けるのだろうか。誰も僕の事を知らない土地だ。
その土地で知り合いが増えた頃、じゃあねとまた何処か違う所へ行く。
その繰り返し。終のすみかはわからない。
もっと身軽になれば行けるのかな。ふらふらするには漫画本が邪魔だ。捨てられるだろうか。
年末が近くなると、縁もゆかりも無い土地で一人きり炬燵にあたりぼんやりとテレビを見ながら新年を迎えるという妄想を度々するのだが「どうせすぐ寂しくなって故郷近辺に帰るんだろうな」と妄想を終わりにしてしまう。
例えば、大学や就職で地元を遠く離れた人はどういう気持ちで日々を過ごしているのだろう。遠く離れているからこそたまには実家に帰ろうかという気持ちになるのだろうか。
先日所用で実家に帰った時、父がいつでも帰って来られるように今の家は残そうと考えているんだという事を言った。
自分としては、田舎と言っても田舎じゃない、ちょっと田舎な土地に建っている家なんて子供達の為に残したってなんの意味もない。住まないのなら売って金に換えて2人で遣ってそれでも余るなら小遣いでも頂戴と言いたいのだが、父と母が建てた家なので俺は何にも口出しできない。
小さくそうなんだと返事をして、ラーメンを啜るだけだった。
実家までの距離だとか、そもそも実家があるかないかなんて事も関係ない。
親との距離感が重要だ。
実家にあまり居たくない。辛いと面と向かって親に言った思春期の頃から何も変わっていないのに、それらしい年齢だとか長男だからとか理由をこねあげて、何処か行きたい場所にも行かない。行きたい。行くんだとも伝えない。そんなの親孝行にもならない優しさでもない。ただの愚図。
俺が産まれた時の親の年齢なんてとっくに超えているのにこのていたらく。
俺の方が、私の方がもっと不幸なんて話を聞いても全くの無駄。慰みにもならない。一般的に考えて自分よりも不幸な環境なのかもしれないけど、自分の状況はなにも改善されない。自分がどうにかしなきゃ。
布団を被ってスマホで書いていると、グダグダと脈絡もない意味不明な文章を延々と愚痴り続ける事になってしまうのでもうやめる。
知らない人にもしかしたら読んで貰えているかもしれないという環境にこの愚痴を曝すという行為は、僕の中で大変なストレス解消になる。
誰かに見られてしまうかもしれない。でも多分誰も見ていないという点では、セックスオンザビーチシリーズと同じ。多分ああいう事が好きなんだと思う。
一人だけ良く会う友人がこのブログを知っているけど、多分読んでいないだろうし、まあいいかと思う。
もし読んでいたら気持ち悪くてすみませんと思う。
もう寝る。
明日この日記見たら自分でも引きそう。