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信念という柱、信念という壁

趣味でも仕事でもなんでもいい。物事に長く関わっていれば、その物事に対して信念のような物が生ずる。

この信念という物は、時に自分がよろけそうな時の柱のような物であったり、時に自分を閉じ込める壁になったりと、在った方が良いのか悪いのかわからんなコリャコリャという物であるなと感じている。

 

世間体とは、この信念の集合体である。

宗教とは、この信念の集合体の行進である。

珍念の信念は知らぬ

 

昔読んだ、幕張サボテンキャンパスという漫画に

「あるがままに生きるという事は、他人のあるがままも受け入れるということだ」

といったセリフがあった。(と記憶している)

良い言葉ではないか。私も早くこのような境地に至り、仙人になりたい。

山奥で霞を食らい、陽が昇り沈むように寝起きするのだ。

 

まさに理想の暮らし。

しかし、時には寂しいうさぎちゃんモードなのやあよやあよモードなのよおとなる時もあるだろう。

仙人とはいえ、人には違いないのだから。

私は、その心が発する「あるがまま」さえも受け入れてやるのだ。

霞を捏ね、俗世間で言われているボンキュッボンとやらの型(気持ち下半身にボリュームをもたせることとする)にするのだ。

そして添い寝し、声をかける。

カスミたん今日もお肌しっとりだねわあもうこんなにしめってるのいけないこだねetc.

また、こういう事も言えるであろう。

「己の信念を貫くのであれば彼の信念を認めよ」

もうこうなったら何が信念なのかひょっとして新年ですかおめでとうございますという気持ちになってしまう。人の信念など所詮この程度。

ブログで飯を食っても構わないではないか。


私は早くこの信念という物から離れたい。霞になりたい。

霞となりてあの娘の風呂に漂いたい。