ボランティア精神の希薄な私にとって、その行動はまぶしいものだ。
人が困っている。手伝ってあげようという気持ちでボランティアの方々は現地へ赴いたり、後方支援をおこなっている。
私は、自分や親戚が被害を被っていなければ「大変だな」とニュースを眺める程度だ。
少し前まで、私はこの近くに住んでいた。
今回、被害が出た地域では無かったが、ひょいと行ける距離だ。
茨城から引っ越した事を伝えていない友人らから「大丈夫か?」という連絡があった。
その内の一人が「週末、ボランティアに行こう」と言った。
週末は前々から予定があったので、その旨を伝えた。
すると、街に流れ込む濁流の様子を伝えるニュース映像のキャプチャが送られてきた。
その画像には「予定ね・・・」というメッセージが添えられていた。
ここに行く予定という事なのだろうか?と受け取った時思った。
しばらくして「お前のどうでも良い予定をこなす暇があればボランティアに行くぞ」という意味だと理解した。
しかし、私の決断は覆らないので、放っておくことにした。
ここで、何故放っておいたかというと、多少なりとも後ろめたい気持ちがあるからだろう。
社会への奉仕という圧倒的な正義(?)を実行しようと持ちかけられたにも関わらず、私は極めて私的な理由でこれを断ったからだ。
また、休日をそのために使おうという気持ちにはならなかったからだ。
どのような状態になれば、自ら行こうと思うのだろうか。
自分が被害を被って、見知らぬ誰かに手助けされたら「次は自分が助けよう」という気持ちになるのだろうか?
それともそのような体験をしても、ボランティアに行くことはないのだろうか。
もしボランティアに行くのであれば、後ろめたさのようなモノに背中を押されて行きたくはないなと思った。
とりあえず、Wikipediaにいたずらしたやつは自発的に消しておけよ。