ばいあすにゅーたうん

誤解を招く日記

ごめんねパプリカ

似たような事を何度か書いている気もするが、きっかけがあったのでまた書く事にする。

 

およそ30年前、私が小さい頃は緑のピーマンが主流だった(以下緑色のピーマンをピーマンと呼称する)。赤や黄のピーマンは滅多に見かけなかったと思う。また、赤ピーマン・黄色ピーマンと呼んでおり、パプリカとは呼んでいなかった。(パープリンという言葉はあったと思う)ピーマンの何が嫌いだったかというと、苦味と臭み。同じような味のししとうも苦手だった。よそのお家に行って晩ごはんをご馳走になったとき、大好物のカレーに大嫌物(だいけんぶつと読みます)のピーマンが入っていて耐えきれずに残した記憶がある。

 

小学校高学年の頃、チンジャオロースに出合い、チンジャオロースのピーマンなら食べられるようになった。緑ピーマンが段々と食べられるようになってくる。ただし、サラダの上に乗っている生ピーマンはレベルが高くて倒せなかった。

 

だいぶ飛ぶが、働きはじめる頃には、ピーマンは食べられるようになっていた。むしろピーマンの苦味が好きになっていた。ししとうも大好きになった。これでピーマンはクリアした!と思った矢先、パプリカが台頭してくる。甘みとジューシーさと見た目のポップさを売りに、ピーマンよりも食べやすい!との触れ込みらしいが、私からすれば苺の方が甘くてジューシーで見た目もポップであるため、パプリカは中途半端に甘くて草臭い汁がたっぷり閉じ込められている地獄の果実でしかない。サラダに乗っているとがっかりするし、ピラフなんかに入っていると、米がその甘草汁(あまくさじると読みます)をたっぷり吸収している事に耐えられず悲しい気持ちになってしまう。いい歳なので、何とか食べる事はできる。遮断器の下りた踏切の前で、列車が通過するのを待っている時のような気持ちでパプリカを食べている。ラタトゥイユなんかは開かずの踏切である。イタリアは開かずの踏切が多いと感じる。

 

この計算でいくと、還暦を迎える頃にはパプリカも克服できるのだろうか。しかし、もういい歳だというのに嫌いなのだから、もう克服なんかできないのではないかとも思う。赤いちゃんちゃんこはもう古い!還暦には生パプリカをかじろう!みたいな事を電通が言い出さないか、今から不安で不安で仕方ない。