ばいあすにゅーたうん

誤解を招く日記

仙人の対価

あれやれ、これやれと会社から言われるのは嫌だなあ。別の会社に行こうかなと思っていた。ただ、特に何かやりたい事があるか?と言われれば無い。新卒の時から無かったし、面接時に上手い事ウソをつく事も出来なかった。今だってそんなに変わらないだろう。明るい未来は見えないが、転職の面接でアワアワする自分の姿だけはハッキリクッキリこれっきり。ミスマッチ。貴殿のご活躍をむにゃむにゃ。そもそも活動してないけど。
やりたくない事をやらせなさそうな会社を探すというのは、とても難しいのではないだろうか。というか無いのではないだろうか。やりたくない事をやらくてすむようになるのは、結構大変だと思う。例えば権力で捻り潰す等。権力というものを手に入れるのは相当な努力が必要だろう。そもそも何をやりたくないのかって?努力です。こういうとこだけマッチングが凄い。
生きていくにはそれなりの対価が必要なのだ。働いておらず、家族に養われている人でさえ、何らかの対価を支払っている。家族に「養わなきゃ」と思わせる何かを与えている。その関係が途切れれば、生きる事は出来なくなる。家族とも、行政とも関係出来ない者は飢えて死んでしまい、最期に蝿などの虫と関係する。
そういった人間関係から解放された人として「仙人」というものが知られている。あれはどのように発生するのか知らないが、人里離れた山奥で、静かに暮らしているそうだ。霞を食って腹を満たすらしい。大自然と関係を結んで生きているのだ。霞を食う対価として何を差し出しているのだろうか?私はおしっこではないかと睨んでいる。私のおしっこ(水分)を差し出しますので、また良い霞(水分)をひとつ食わせてください…へへ…。というような爛れた関係があるのだろう。仙人でもこの体たらく。人間はどこまでいっても虚しいものである。

 

 

私はこの日記を書く事で何を得たのだろうか。特に得たものはなさそうだが、失ったものはありそうな気がする。