ばいあすにゅーたうん

俺は屁をこくシステムだ

自然塾の不自然さと自らの然るべき判断

先日、ぶらぶらと小田急沿線を歩いていて、途中公園に立ち寄った。
羽根木公園という公園であった。
テニスコートや野球場などがある、少し広めの公園なのだが、一角にこの様なコーナーがあった。

 

羽根木プレーパーク - Wikipedia

 

www.city.setagaya.lg.jp

 

waradutoya.blog.so-net.ne.jp


色々な文字の書かれた怪しげな小屋と、木製の遊具が置かれており、大人と子供が沢山いた。一瞬、本当に一瞬だけ過激派の活動拠点ではないかとドキドキしてしまった。
小屋の壁には檄文ではなく、歴代のベーゴマチャンピオンやら、釘差しチャンピオンの名前がびっしり書かれていた。
ふと、煙のにおいがするなぁと思ったら、隅では子供たちが焚火をしていた。
水が流れているところでは、子供たちがドロドロになって遊んでいる。
昨今ではボール遊びすら禁止の公園が増えていると聞く、窓ガラスを割る前から神成さんが怒鳴り込んでくるようなご時世だというのに。

焚火コーナーの近くには、ペンキで説明書きの書かれた看板が立っている。正しい焚火のやり方だとかが書かれていた。
なるほどな、大人たちがこういう事を教えているのか。大人の目もあるし、ものすごく危ない目には合わないのだろう。
いい事なのかもしれないな。と思いつつも、なんだか不自然な空間だなと思った。
昔、火起こしだとか、焚火の灰で食器の汚れを落とすだとかを体験できるキャンプ場に行った時もこんな気分になった。
不便な思いをしなくてすむように、色々と知恵を働かせてきたのに、わざわざ不便な事を体験する。させたがる。したがる。
勿論、一つの経験として、とても有用なことであろうと思うのだが、なんだか上から目線な気もする。
子供達は、大きくなってここで遊んだ記憶をどのように振り返るのだろうか。

俺はもう、人間のやることがよく理解できないのだ。
ひとまず科学技術のもたらした電子計算機で官能的な映像を鑑賞することにする。